プロフィール

【人物】

1993年2月16日生(30歳)

香川県丸亀市出身

左京区下鴨松ノ木町在住

家族…妻

趣味…バイク、釣り、筋トレ(自重)

尊敬する人物…両親、祖父母

好きな場所…糺の森、鴨川

長所…物を大事に使うこと

短所…物が捨てられないところ

身長…183cm

【経歴】

2011年3月 香川県立坂出高等学校卒業

2011年4月 立命館大学政策科学部入学

2015年3月 立命館大学政策科学部卒業

2015年4月 毎日新聞大阪本社入社 

       地方部徳島支局配属(記者)

2017年8月 毎日新聞大阪本社退社

2017年10月 京都市役所入庁

                   保健福祉局介護ケア推進課配属

2020年12月 京都市役所退職

2021年1月   前京都市会議員村山祥栄事務所入所



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【幼少期】

・年子の兄と双子の様に育てられる。

・母曰く「目を離すとすぐにいなくなる子だった」

・祖父の仕事の関係で香川県内の多くのうどん店を巡る。幼稚園からすでにコシと出汁にうるさかった。

・季節を問わず毎日外に遊びにいき、飽きることなく虫捕りをしてはベランダで飼っていた。

・実家の近くに大きな川や山があり、自然と親しみながら成長する。

 

 【小学校】

・「誰もやりたくないなら自分が引き受ける」という理由で学級委員長に立候補し、小2から卒業まで毎年学級委員だった。小6では児童会に入り、全校集会での挨拶などを担当した。なかなか終わらない非効率なクラス会議が嫌で、なるべく早く終わらせるよう段取りを工夫していた。

・式典の日以外はほとんど半袖短パンで登校する謎の美学をもった少年だった。

・レゴブロックとプラモデルが大好きで、毎日のようにオリジナルの乗り物を作っては壊ししていた。

・体育ではソフトバレーボールが得意で、中学ではバレー部に入ろうと決意した。

・修学旅行で訪れた京都で寺社仏閣の歴史に触れ、以降「また京都に行きたい」と思うようになる。

 

【中学校】

・バレーボール部に所属。厳しい練習の影響か一年で激やせした。

・身長も中一の春で158cmだったのが中二で173cmになり、中三では178cmに。横に細く縦に長くなった。

・中一~中二でも学級委員、中三は生徒会長を務めた。長く形式ばった挨拶より、砕けた短い挨拶のほうが楽しいだろうと考え実行し、教師や生徒から好評を得た。

・中学二年生(2006年)ごろから内閣総理大臣が頻繁に変わることに強い違和感を覚える。国民が求めていることと政治家がやることの食い違いがなぜ起きるのかを考え「皆の意見を聞いて上手にまとめられるリーダーになりたい」と将来政治家になることを決意。

  


【高校】

・日本文化である武道に親しみたいとの思いから弓道部に入部。友人にも恵まれ、高校三年生の時、香川県総体で優勝、インターハイ(団体戦)に出場する。

・二年生の時に生徒会長選挙に立候補し当選。形骸化していた生徒会を刷新すべく、新たに目安箱を設置し球技大会の開催数や校則の改定に尽力。実際に教師・生徒から不評であった革鞄必携の校則を撤廃することに成功。

2009年の政権交代で政治が大きく変わることに期待をするも、変わらず国民の意見からずれている様に見える政界に更に違和感が募る。

 

 

【大学】

・政治学だけでなく、社会問題解決のために必要な幅広い知識を得るために立命館大学政策科学部に入学。以降4年間を右京区常盤で過ごした。

・憧れていたバイクの購入・維持費と生活費を賄うために紅茶屋や家庭教師など複数のアルバイトを掛け持ちしていた。紅茶店は当時太秦の大映通り商店街にあり、店周辺の住民の皆様に差し入れをいただいたり地域の集まりに呼んでいただいたりして、京都市民の温かさに触れた。

・鴨川と植物園、京北、大原が好きで、暇を見つけては散策していた。在学中に一度はオオサンショウウオが見たいと鴨川で探し続けていたが結局見つけられず、今でもたまに探している。

・学業面では佐藤満教授のゼミでポピュリズムについて研究し、ゼミ代表として研究発表会に出場した。

・中高で感じた政治に対する違和感を確かめるべく、大阪9区の大谷信盛議員(当時)の事務所にてインターンを経験。国会や茨木市議会を見学する中で、自身が想像していたよりもずっと熱い政治家の国民・市民に対する想いに驚き、より多面的な視点で政治を観察し勉強すべきだと考え、新聞記者を目指すようになる。

 【社会人】

・記者として警察(事件・事故)、地方行政の記事執筆を担当する。それまで国や地方自治体を動かしていたのは政治家であると思い込んでいたが、警察官や公務員、市民団体など、あらゆる立場の人々が自分の住む地域を守るために尽力していることを知る。

・取材を繰り返す中で、話を聞くだけでなく自分自身もプレーヤーとして国や地域を守る側になりたいと、公務員を目指す。

・小学校から憧れており、大学4年間の温かい思い出がある京都市に再び住みたいと京都市職員募集に応募。縁あって採用いただく。

・保健福祉局介護ケア推進課に配属され、全くの素人であった老人福祉法に苦戦しながらも、良き同僚に恵まれ3年間、介護用品給付事業、養護老人ホーム事業などを担当。

・多くの職員が一生懸命に働いているのに、用途が不明確な補助金や、非効率な慣習により市職員と市民との間に距離ができていることを肌で感じるようになる。

2020年の市長選が近づくにつれ、村山祥栄候補(当時)の働きかけもあり、職員間でも財政破綻の噂が囁かれるようになるが、本気にしている人はほぼおらず、そのことについても危機感を覚えるようになる。

2019年12月某日、帰宅途中にきいた村山候補(当時)の演説を聞き、真に京都市の未来を思う姿に感銘を受け、「この人のそばで地方自治を学びたい」村山事務所に連絡を取る。

・当時の村山事務所秘書が偶然大学時代の後輩(現・富山県高岡市議会議員)であったこともあり、後任として村山祥栄事務所の秘書となる。

 

 

・村山のそばで地域の方々や企業経営者の方々とお会いし、危うい運営状態にある京都市について学びを深めると同時に、京都市の未来を真に憂うのであれば、議員となり市民、市職員の皆様と協力していくのが一番の近道であると確信する。